五月人形の「重箱のスミ」②

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正平6年6月1日

節句飾りの鎧や兜の革の部分に、たまに「正平六年六月一日」と書かれていることがあります。これはなにかというと、この革に描かれている唐獅子や牡丹、唐草模様がお許しを得たものであるという証なのです。

南北朝時代、後醍醐天皇の皇子・懐良(かねよし、かねなが)親王が征西大将軍として九州で勢力を伸ばしましたが、時に正平六年六月一日、肥後の国・八代の名工に当時勝手に描くことのできなかった獅子や牡丹、唐草模様を許し、その日を記したものなのです。この革を正平御免革(韋)と呼びます。

子供の頃、この文字が書いてある鎧や兜を探して喜んでいました。けれど、最近はとんと見かけなくなってしまいました。聞けば、どうもこの文字が書いてあると、革の半端なところを使ったもののように思われ、クレームがくることがあるらしいのです。私たちは、むしろ「当たり」「縁起が良い」と思っていましたが、どうも最近はそうではないらしいですね。説明できないお店がふえたのかもしれません。

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